2013年10月02日
第2次世界大戦における米陸軍被服に関して
皆さん初めまして.
初めてミリブロで記事を書きます,Otocephalaです.以後よろしくお願いします.
わたしは第2次世界大戦の米軍とソ連軍を中心に装備を集めています.これまでは本ブログでは戦後の装備を扱っていましたが,わたしの担当回では主に第2次世界大戦の装備を扱っていきたいと思います.
さて,今回は第2次世界大戦 (以下WW2) における米陸軍被服を紹介していきたいと思います.
WW2において米軍は様々な新装備を開発しましたが,その一つにフィールドジャケットがあります.これはそれまでの制服と異なり,戦場(フィールド)での扱いやすさを考えて開発されたものです.制服と戦闘服が明瞭に区別されていなかった当時としては非常に画期的な事でした.そのフィールドジャケットの初まりと言えるのがこのM1941フィールドジャケットです.
M1941フィールドジャケット

この写真では全ての兵士がM1941ジャケットを着用しています.ズボンはマスタードパンツで足周りはアンクルブーツ+レギンスです.ジャケットの下に着ているシャツは判別しかねますが、当時の標準的な着用例と言えるでしょう.
WW2の全期を通じて米陸軍の歩兵が着用しているのがこのM1941ジャケットです.なお,WW2米軍のジャケットはこれだけではなく,空挺用のM1942パラトルーパージャケット等複数の種類がありましたが,1943年にM1943フィールドジャケット及びM1943フィールドトラウザーからなるM1943野戦服が採用され,以降野戦服はこれに統一される方向に進みます.
M1942パラトルーパージャケット

第101空挺師団所属の兵士です.M1942パラトルーパージャケットを着用しています.なお,空挺部隊はズボンも一般部隊とは異なるM1942パラトルーパーパンツを着用していました.
M1943フィールドジャケット

先ほどと同じく第101空挺師団です.両側に立っている2名がM1943フィールドジャケットを着用しています.ズボンはM1942パラトルーパーパンツのようです.中央の兵士が来ているのはおそらくM43HBT作業着と思われます.同部隊においてはマーケット・ガーデン作戦以降にM1943フィールドジャケットの着用が広く見られるようになります.このM1943フィールドジャケットから米軍の野戦服は色がオリーブドラブ(以下OD)になります.上記の写真では年代を正確に特定することはできませんでしたが,こちらは1945年4月頃の物です.

写真でジープに乗っている兵士が3人いると思いますが3人ともM1943フィールドジャケットを着用しています.この頃になるとこの新型ジャケットのだいぶ浸透してきたようです.ところで・・・.この3人を取り巻く兵士の中には明らかにこれまで紹介した物とは異なる服を着用している兵士が数人見られます(矢印).実は彼らはソビエト軍兵士です.1945年4月,ドイツのエルベ川で米ソ両軍が遭遇しています.この写真はその時の物です.少々脇にそれますが写真のソ連兵士は全員M43型の制服,通称ルパシカを着用しています.戦後,東西冷戦で対立する両国ですがこのころはこのような一幕もありました.WW2ソ連軍の装備に関してもいずれ取り上げたいと思っています.
戦争中に全ての兵士の装備をM1943フィールドジャケットに更新することは出来ず,M1941フィールドジャケットも終戦まで使用されました.ほぼ全ての兵士がM1943フィールドジャケットを着用するようになるのは朝鮮戦争の頃になります.
シャツとズボン
ジャケットの下にはシャツを着るのが一般的ですが,それはWW2でも変わりません.当時の陸軍兵士達が着用していたのがこのウール製のシャツで通称マスタードシャツと呼ばれます.そしてこのシャツの下にこれまたウール製のマスタードパンツを履きます.
マスタードシャツ

処理に成功した不発弾と一緒に撮った写真でしょうか?一番右に立っている兵士がマスタードシャツのみを着用しています.胸に2つのポケットがついているという,シャツとしてありふれた形式をしています.
マスタードパンツ

こちらの写真で着用しているズボンがマスタードパンツです.前述の通りシャツ,パンツ共にウール製であったため雨等で濡れると縮んでしまい,兵士としては後述のHBT作業着の方が使い勝手が良かったそうです.
マスタードシャツ及びパンツは1943年にコットンサテン製HBT生地のM1943HBT作業着(HBTユニフォーム)に順次更新されるようになります.なお,このHBT作業着の色はODもしくはダックハンターです.作業着とありますが実際には戦闘服としての使用も考慮されており,言い切ってしまえばベトナム戦争時のユーティリティのはしりと言える服でした(そのため人によってはこれを最初期のユーティリティとする人もいます).
HBT作業着

第2機甲師団所属の兵士です.彼らは皆、M43HBT作業着を着用しています.興味深いことに一番右の兵士以外のM43HBT作業着はダックハンターの迷彩色になっています.ダックハンター迷彩は海兵隊によって太平洋戦線では使用されていたことはよく知られていますが,欧州戦線でも初期の頃は使用されていました.しかし敵軍であるドイツの武装SSが使用した迷彩服と誤認され誤射が発生したために欧州戦線では使用されなくなりました。写真で左側に集められているのはドイツ軍兵士で,武装解除していることから捕虜だと思われます.
このように一口にWW2米軍の被服と言っても様々な種類がありました.基本的にこれらの服は軍によって着用例が定まっているのですが,1944年になっても装備が一部しか更新されずジャケットはM1943、シャツはマスタード,ズボンもマスタードパンツと言ったように被服の混在が見られる事もあったそうです.
コレクション
今回はマスタードシャツの紹介です.


このシャツは100%ウール製.生地は比較的柔らかくいわゆるフランネルの分類に入ります.ロット等を示す表示がないため正確な型式や製造年代を特定することはできませんでしたが,素材とその形状からマスタードシャツであることは明らかです.欧州戦線においては広く着用が見られるシャツですが,太平洋戦線などの熱帯地方ではこれと同じデザインで素材がコットンの「チノシャツ」が用いられました.ウール製なためか真夏に着るとこのシャツだけでもサウナ状態になります.余談ながらWW1の米軍もこのシャツと同様の素材とデザインのシャツを着用していました.ただ、同じ物であるかは私には分かりません.今後調べてみたいと思います.
ご閲覧ありがとうございました.
※ご指摘・ご質問等がありましたら遠慮なくコメントしてください.
初めてミリブロで記事を書きます,Otocephalaです.以後よろしくお願いします.
わたしは第2次世界大戦の米軍とソ連軍を中心に装備を集めています.これまでは本ブログでは戦後の装備を扱っていましたが,わたしの担当回では主に第2次世界大戦の装備を扱っていきたいと思います.
さて,今回は第2次世界大戦 (以下WW2) における米陸軍被服を紹介していきたいと思います.
WW2において米軍は様々な新装備を開発しましたが,その一つにフィールドジャケットがあります.これはそれまでの制服と異なり,戦場(フィールド)での扱いやすさを考えて開発されたものです.制服と戦闘服が明瞭に区別されていなかった当時としては非常に画期的な事でした.そのフィールドジャケットの初まりと言えるのがこのM1941フィールドジャケットです.
M1941フィールドジャケット

この写真では全ての兵士がM1941ジャケットを着用しています.ズボンはマスタードパンツで足周りはアンクルブーツ+レギンスです.ジャケットの下に着ているシャツは判別しかねますが、当時の標準的な着用例と言えるでしょう.
WW2の全期を通じて米陸軍の歩兵が着用しているのがこのM1941ジャケットです.なお,WW2米軍のジャケットはこれだけではなく,空挺用のM1942パラトルーパージャケット等複数の種類がありましたが,1943年にM1943フィールドジャケット及びM1943フィールドトラウザーからなるM1943野戦服が採用され,以降野戦服はこれに統一される方向に進みます.
M1942パラトルーパージャケット

第101空挺師団所属の兵士です.M1942パラトルーパージャケットを着用しています.なお,空挺部隊はズボンも一般部隊とは異なるM1942パラトルーパーパンツを着用していました.
M1943フィールドジャケット

先ほどと同じく第101空挺師団です.両側に立っている2名がM1943フィールドジャケットを着用しています.ズボンはM1942パラトルーパーパンツのようです.中央の兵士が来ているのはおそらくM43HBT作業着と思われます.同部隊においてはマーケット・ガーデン作戦以降にM1943フィールドジャケットの着用が広く見られるようになります.このM1943フィールドジャケットから米軍の野戦服は色がオリーブドラブ(以下OD)になります.上記の写真では年代を正確に特定することはできませんでしたが,こちらは1945年4月頃の物です.

写真でジープに乗っている兵士が3人いると思いますが3人ともM1943フィールドジャケットを着用しています.この頃になるとこの新型ジャケットのだいぶ浸透してきたようです.ところで・・・.この3人を取り巻く兵士の中には明らかにこれまで紹介した物とは異なる服を着用している兵士が数人見られます(矢印).実は彼らはソビエト軍兵士です.1945年4月,ドイツのエルベ川で米ソ両軍が遭遇しています.この写真はその時の物です.少々脇にそれますが写真のソ連兵士は全員M43型の制服,通称ルパシカを着用しています.戦後,東西冷戦で対立する両国ですがこのころはこのような一幕もありました.WW2ソ連軍の装備に関してもいずれ取り上げたいと思っています.
戦争中に全ての兵士の装備をM1943フィールドジャケットに更新することは出来ず,M1941フィールドジャケットも終戦まで使用されました.ほぼ全ての兵士がM1943フィールドジャケットを着用するようになるのは朝鮮戦争の頃になります.
シャツとズボン
ジャケットの下にはシャツを着るのが一般的ですが,それはWW2でも変わりません.当時の陸軍兵士達が着用していたのがこのウール製のシャツで通称マスタードシャツと呼ばれます.そしてこのシャツの下にこれまたウール製のマスタードパンツを履きます.
マスタードシャツ

処理に成功した不発弾と一緒に撮った写真でしょうか?一番右に立っている兵士がマスタードシャツのみを着用しています.胸に2つのポケットがついているという,シャツとしてありふれた形式をしています.
マスタードパンツ

こちらの写真で着用しているズボンがマスタードパンツです.前述の通りシャツ,パンツ共にウール製であったため雨等で濡れると縮んでしまい,兵士としては後述のHBT作業着の方が使い勝手が良かったそうです.
マスタードシャツ及びパンツは1943年にコットンサテン製HBT生地のM1943HBT作業着(HBTユニフォーム)に順次更新されるようになります.なお,このHBT作業着の色はODもしくはダックハンターです.作業着とありますが実際には戦闘服としての使用も考慮されており,言い切ってしまえばベトナム戦争時のユーティリティのはしりと言える服でした(そのため人によってはこれを最初期のユーティリティとする人もいます).
HBT作業着

第2機甲師団所属の兵士です.彼らは皆、M43HBT作業着を着用しています.興味深いことに一番右の兵士以外のM43HBT作業着はダックハンターの迷彩色になっています.ダックハンター迷彩は海兵隊によって太平洋戦線では使用されていたことはよく知られていますが,欧州戦線でも初期の頃は使用されていました.しかし敵軍であるドイツの武装SSが使用した迷彩服と誤認され誤射が発生したために欧州戦線では使用されなくなりました。写真で左側に集められているのはドイツ軍兵士で,武装解除していることから捕虜だと思われます.
このように一口にWW2米軍の被服と言っても様々な種類がありました.基本的にこれらの服は軍によって着用例が定まっているのですが,1944年になっても装備が一部しか更新されずジャケットはM1943、シャツはマスタード,ズボンもマスタードパンツと言ったように被服の混在が見られる事もあったそうです.
コレクション
今回はマスタードシャツの紹介です.



このシャツは100%ウール製.生地は比較的柔らかくいわゆるフランネルの分類に入ります.ロット等を示す表示がないため正確な型式や製造年代を特定することはできませんでしたが,素材とその形状からマスタードシャツであることは明らかです.欧州戦線においては広く着用が見られるシャツですが,太平洋戦線などの熱帯地方ではこれと同じデザインで素材がコットンの「チノシャツ」が用いられました.ウール製なためか真夏に着るとこのシャツだけでもサウナ状態になります.余談ながらWW1の米軍もこのシャツと同様の素材とデザインのシャツを着用していました.ただ、同じ物であるかは私には分かりません.今後調べてみたいと思います.
ご閲覧ありがとうございました.
※ご指摘・ご質問等がありましたら遠慮なくコメントしてください.
2013年08月22日
M1955ボディアーマーと海兵隊
こんばんは、jokeでございます。














私用が多く中々更新することが出来ずに申し訳ありません・・・。
今回は本道に戻りましてベトナム戦争における海兵隊とM1955ボディアーマーについて書いていきたいと思います。
【「ボディアーマー」っていつからあるの?】
銃弾・砲弾から身を守るという定義としてとらえるならば、WW1ごろからあるのではないでしょうか。
どちらかといいますと、B-17の機銃手など航空機搭乗員の着用というのがイメージにあるのではないでしょうか。
WW1も個人的な着用が個々に見られるものの部隊としてまとめてというのはなかったと考えられます。
そもそも、広義のボディアーマーは上半身を守る鎧のことと捉えられるので昔からあるっていう答えも正しいかと思います。
今回の焦点である「海兵隊」をつけるとなると、一般的に海兵隊がボディアーマーを着用し始めたのは朝鮮戦争期からだと考えられます。


上記2枚の写真は朝鮮戦争時の海兵隊の写真です。
各々がM1952ボディアーマーを着用しています。このように、朝鮮戦争の主に中期以降に着用が顕著に見られます。
【ベトナム戦争でのM1955ボディアーマーの着用】
ベトナム戦争時の海兵隊と言えばといっても過言ではないM1955ボディアーマーについて見ていきましょう。
1965年3月、ダナンに上陸して、1975年にフリークエントウィンド作戦でベトナムから完全撤退するまで多くの海兵隊員は一貫して着用していました。
M1955ボディアーマーは名前通りの1955年採用のボディアーマーで、前期型・後期型が存在しています。
ただ留意していただきたい点が、本来の目的は防破片であり、現代でいう完全な防弾の機能は付いていないということです。(ベストのタグに記載)
しかし、M1955は陸軍の各種ボディアーマーと違い、白兵戦になった場合のためにケプラー繊維以外にもガラス繊維とポリエステルを固めたものを入れており、これらが防刃機能を果たしていました。
初期型・後期型の違いについては、簡単には腹部のポケットの有無であったり、肩のスリング留めの数(後期型・最後期型の場合)などで見分けることが出来ます。
後期型には左胸に小さなポケットがあり、そこにM16のマガジンを入れて運んでいる写真も散見されます。

しかし、M1955は防片・防刃などの機能面などからわかるように重く、気温が高く湿気も多いベトナムでは非常に邪魔でうっとうしいものであったとされており、戦争初期は支給されてはいるものの着用しない隊員も多くいたようです。
そのため、戦中に基本的には着用するようにという命令が出されるほどだったようです。
上記2枚のように、Tシャツの上、あるいは上裸に直接ボディアーマーを着用することで少しでも涼しくしようとしていたようです。
アーマー下部にはM1910キャンティーン・メディカルポーチ、M1916ホルスターなどをつけることが出来るダブルフックワイヤー用のドットがあります。

左から2番目の海兵隊員は直接メディカルポーチが付いているのがわかります。
このように、直接つけている例もいくつか見られて、特に陣地防御などで見られることが多いような気がします。
個人的な考えではありますが、ケ・サンでの戦闘などからわかるように直接的な戦闘よりも急な砲撃の際に銃とボディアーマー・体だけで動けるようにするために装着しているのではないでしょうか。
また、余談ですが、M1955ボディアーマーはアメリカ海兵隊以外にもTQLC(南ベトナム海兵隊)や韓国海兵隊などでも使用されており、韓国については国内で生産していたものがあったとされています。






何枚かわかりやすい写真をピックアップしてみ
ましたが、どの写真でもM1955ボディアーマーを着用しています。
ちなみに、上下段の右端はどちらもテト攻勢時の写真で、下はフエでの戦闘の有名な写真です。
また、下段中央は先に名前が出ましたフリークエントウィンド作戦に向かう前の写真ですが、M1955が後期型・最後期型が混在している以外にもM1967サスペンダー&アムニッションポーチやリーフパターンのヘルメットカバーなど、ベトナム戦争後の海兵隊装備と同様な装備となっています。
【コレクション】
USMC M1955ボディーアーマー (後期型) 1971年ロッド




M1955ボディアーマーの後期型となっています。1971年ロッドで、いわゆるナムロッドです。状態は非常にいいものです。
ポケットのボタンが隠しボタンとなっており、左胸には小さなポケットが付いています。
実際、マルイの20rdマガジンを入れてみましたが、少々ポケットが小さくマガジン自体が飛び出すようになっています。
また、購入時にたまたまプレートが出てきましたが、実際の戦闘用のプレートなのか、訓練用のプレートなのかは知識不足でわかっていません…。調べてまた後日わかり次第更新しておきます。
今回は海兵隊のM1955について取り上げて行きましたがいかがだったでしょうか?
海兵隊のボディアーマーというと映画「フルメタルジャケット」の影響でM1969ボディアーマーのイメージが強いせいか、海兵隊=M1969ボディアーマーという解釈があることがあります。
実際には少数ではありますが、初期のころではM1952ボディアーマーや後期になってはM1969ボディアーマーも見られますので一概にM1955だらけとは言えませんが、普通はM1955が圧倒的に多いです。
しかし、M1955ボディアーマーがベトナム戦争前後で一貫としてつかわれているため、海兵隊の装備の中でも重要なものであるということは変わりありません。
非常に珍しいアイテムではありますが、海兵隊でリエナクトやサバイバルゲームする、コレクションをするうえでは持っていた方がいいアイテムですので機会がありましたら購入してみてもいいと思います。
ご閲覧ありがとうございました!
2013年08月04日
光州事件における韓国軍迷彩の考察
こんばんは、jokeです。


















今回はベトナム戦争を少し離れまして、『光州事件(5.18光州民主化運動)』について見ていきたいと思います。
近年まで韓国内ではタブー視されてきた事件で、現在でも様々な議論が交わされています。
余談ですが、最近の韓国ではこの光州事件を北朝鮮の扇動によって起きた事件という人もいるようですが、正直、一部の過剰な愛国者が作り出した愚直な話であり、当時の韓国内で民主化運動を推進することは北朝鮮には不利だったのではと私は考えます。
また、2000年以後、光州事件がいかに悲惨であり、民主運動が国内に有益であったかというのが再認識され様々な映画・ドラマの作成がなされています。
【光州事件とは】
1980年5月18日に光州市で起きた民主化運動の流れを良しと思わない韓国政府の軍と民主運動を支持する市民・学生らとの衝突事件。
現在でも未解決な課題が山積みであり、韓国内ではタブーとされている。
日本国内でも光州事件というのはあまり知られていない存在でしたが、2007年に上映された「光州5.18」からその認知が高まっていると思います。
【出動した韓国軍の考察】
現段階で光州市に出動していた主要部隊は第3空挺旅団・第7空挺旅団と第11空挺旅団、第20機械化歩兵師団となっています。
(※ 現在ではこの3つの空挺旅団は特殊戦司令部隷下の第7および11特殊作戦旅団に変化している。)
当時の韓国陸軍は基本的にはユーティリティの着用が顕著に見られ、特殊作戦司令部隷下の部隊は迷彩服(俗に言うヌードル迷彩)を着用していたようです。
第3・7・11空挺旅団が主体的に鎮圧にあたっており、彼らの姿が確認できる写真が多くあります。
では、空挺旅団の衣服についてまずは見ていきましょう。
ここでは主にヌードルパターンに着目してみたいと思います。ヌードルパターンは先に紹介したとおり特戦司隷下部隊が着用する迷彩で、1964年から導入が開始され、1980年代まで使用されてきました。

市民と対峙する空挺旅団。全員がヌードルパターンを着用しているのがわかります。
一応、対暴徒用ヘルメットとしてバイザーをつけている兵士も見られます。

逮捕した市民をトラックに乗せる空挺旅団の兵士たち。彼らもヌードルパータンに着用しています。
先ほどの写真と違って、こちらの兵士たちはヘルメットカバーをつけていないようです。光州事件においてヘルメットカバーをつけている兵士とつけていない兵士、つけている兵士もダックハンター迷彩・韓国製ミッチェルパターン、ヌードル迷彩などバラバラのようです。

鎮圧を行う前にとられたと思われる写真です。
よく見ると全員ガスマスクを着用しているのがわかりますね。多分米軍のM9ガスマスクか国産のガスマスクを着用しているのだと思います。対暴徒となるとガスを使用する可能性は大いにありえるためでしょう。



1)当時センセーショナルに取り上げられた暴行の様子。右の兵士は着剣している点を見ても過剰な暴行が多かったことを物語っていますね。
2)映画「光州5.18」のワンシーン。事件当時は発砲を禁じられていましたが、写真のようにこん棒などを使って暴行を行っていたという証言や写真が現在でも残っています。
3)確保された市民を監視する空挺旅団の兵士。
基本的、多くの空挺旅団所属の兵士がヌードルパターンの迷彩服を着用しているのがわかっていただけたと思います。
では、次に一般部隊を見ていきたいと思います。
当時の一般部隊で光州事件に参加していたのは先述したように第20機械化歩兵師団でした。
この部隊は主に光州市への再鎮圧に向かう際、戦車の出動・空挺旅団のバックアップを行っていたと考えられます。

鎮圧作戦終了後に負傷者を運ぶ第20機械化歩兵師団兵士。
こちらはユーティリティを着用していますね。
そして、違った点というのがヘルメットに巻いた白い布。これは一般部隊に共通してされているのですが、なぜなのかはわからないです…。ただ、民主派もヘルメットをかぶていたのでそれと区別をするためにつけているのではないでしょうか。

逮捕者を移送する第20機械化歩兵師団兵士。
上記と同様にユーティリティを着用しています。

上記同様、逮捕者を移送する兵士なんですが、珍しい物を着ています。
右の兵士の着用しているM1955ボディアーマーは通常、海兵隊が着用していることで知られているのですが、現在確認できている光州事件の出動部隊に海兵隊部隊は入っていないので一般部隊であると考えるとすると、陸軍にも一部M1955が使用されていた可能性があったと考えています。




【コレクション】
韓国軍特戦司 ヌードルパターン迷彩ジャケット 1978年製





当時のユーティリティと違い、腕の小さいポケットとジッパーなどが変わっているのがこのジャケットの特徴です。
また、韓国軍の衣類について共通がある点というのが、胸付近にあるガスフラップのような布でして、ほとんどのジャケットについているようです。ただ、使用用途についてはガスフラップなのかシャツを見せないためにあるのではと考えられています。
以上、マニアックなネタにはなりましたが、当時の韓国軍の迷彩について考えてみました。
装備などもベトナム以降、自国の生産のものが増えてきており、上記の画像の中にも国産と米軍の物が混在しています。
これも機会があれば考察してみようと思います。
ご閲覧、ありがとうございました。
※閲覧に際しまして、指摘事項・お聞きしたいことなどございましたら気兼ねなくコメントしてください。
2013年07月30日
ベトナム戦争における米空軍兵士の装備考察
こんばんわ!Jokeです!
少々更新が遅れましてすみません。
第一回の題材としまして、色々悩みまして、こんな難しいものになってしまいました…。
ただ、ベトナム戦争における空軍というのは米軍の中でも不思議な存在なので、面白いかと思って少し調べてみました。
今回の題材での米空軍兵士というのは、PJであるとかCCTというのは置いといて、一般的な後方職種、特にSP(Seculity Police:警備兵)であるだとかAPS(Aerial Port Spuadron:航空基地支援隊)などの装備について触れていきたいなと思います。
空軍といいますと、やはりベトナム戦争だとF-4ファントム・B-52ストラトフォートレス・A-6イントルーダーといった航空機を主に考えますよね。まぁ、それが一般的であると思います…。
しかしながら、後方職種も大変なものでして、南ベトナム解放戦線っていうのは国内のどこにいるかわからない。つまり、航空基地といった重要拠点については大小を問わず攻撃を平時から受けていたようです。
特に1968年におけるテト攻勢では大規模な攻撃を受けたというわれてます。
そのため、空軍も自身を守る携行火
器、装備というものは手放せなかったようです。
とはいっても前線にいる海兵隊や陸軍とは違い、独自の装備品もあったようです。

テト攻勢で基地警備を行うタン・ソン・ニャット基地、第373基地警備隊所属の兵士。
左についている星型のパッチは南ベトナム軍の憲兵隊パッチのようです。
この写真で注目すべきはM1969ボディアーマーであると思います。支給自体は1967年頃から始まりつつはあったようですが、空軍には優先的に配備されていたのでしょうか。

先のパッチの話から続きまして、第12基地警備隊所属の彼らの左肩にもパッチがついています。
こちらも上のものと同様南ベトナム軍の憲兵隊パッチだと思われます。
これらのパッチついては、空軍基地内のSPやAPが着用していたとされています。
【衣類の着用例】
では、ここで多々ある服の着用例を見ていきたいと思います。


1967-1968年頃にプ・キャット基地で撮られた写真です。休暇なのでしょうか。
左からTCU、ERDL、OG-107ユーティリティとなっています。
この写真から分かるように、この頃は空軍内でも様々なものが点在していたようです。
ただ、特に顕著に見られるのは右のようなOG-107ユーティリティではないかと思われます。


続いて、タン・ソン・ニャット空軍基地の第8航空支援隊の方々。
よく見ていただくとズボンはタイガー・ストライプを着用しています。
パターンまでは自分が詳しくないのであまり良くはわかりませんが、TQLCパターン(別名:南ベ海兵隊タイガー)ではないでしょうか。
その他、右のようないくつかタイガー・ストライプの着用例が見られました。
【固有装備⇒『マガジンポーチ』を見る】
空軍についても、海兵隊と同様に独自の装備が進んでいることがありました。
特にAR-15の採用が早かった為か、空軍独自のマガジンポーチなども見られます。

プ・キャット基地所属の第37基地警備隊の訓練写真です。
右の兵士の左右の腰についているポーチが『空軍用マガジンポーチ』と呼ばれているものです。
これらのマガジンポーチについては多くの基地警備隊の兵士が持っているのが確認できます。
右の写真はタン・ソン・ニュット空軍基地の基地警備隊所属の兵士で、ベルトに通して使っています。

年代は不明ですが、タン・ソン・ニャット空軍基地所属の兵士です。
左のTCU着用の兵士の肩にかかっているM1956ベルトにも空軍用マガジンポーチが確認できます。
また、空軍用と銘は打っておりますが、陸軍のMPや偵察犬小隊などでも使用例が見られていて、空軍だけしかないってわけではないようですね。

また、上記のようにM1956アムニッションポーチ、M1956/61キャンティーンカバーなどのM1956基本装備も確認できます。
そのため、陸軍の余剰ポーチなどが空軍にやってきた、あるいは陸軍と交換して使ったなんてことも考えられますね。
【コレクション】
○アメリカ空軍 軍曹 着用 4th TCU ジャケット




状態としては並とも言い難いですが、実物4th TCUジャケットです。
コントラクトナンバーなどを確認しようとしましたが、タグが欠損しておりますので確認できていません。
しかしながら、実物放出とのことでしたので実物の扱いにさせていただきます。
ネームテープからマイヤーさんが着られていたようで、階級は軍曹のようです。
○空軍 M16 20rd用マガジンポーチ





先に紹介しました、空軍用マガジンポーチです。
20rd弾倉が2本入るようになっており、蓋はドットボタンで止めるようにしています。
便宜上、マルイ製M
ただ、このポーチは使いやすいようで使いづらく、マガジンが取り出しづらかったり、ベルトに通すタイプでドットなどがついていませんので動いてしまうのが問題かもしれません。16ショートマガジンを使っておりますが、少々キツイですが一応入ります。
使用例としては、取り出しやすいよう、したを向けてつけていることもあったようです。
以上、簡単ではありますが米空軍の衣類・装備使用例について見ていただきました。
本来であれば先に書きましたようにPJやCCTについても書くべきではありますが、今回は分量上、省略させていただきました。
ベトナム戦争についてはまだまだ調べるところが多いと思いますので、これを期にみなさんも調べてみてはいかがでしょうか?
ご閲覧、ありがとうございました。
※閲覧に際しまして、指摘事項などございましたら気兼ねなくコメントしてください。
2013年07月25日
はじめまして!
はじめまして!
SMCとして初めて記事を書きますJokeです。よろしくお願いします。
わたくし自体はベトナム戦争の米軍・ARVN装備などを集めております。
SMCとして初めて記事を書きますJokeです。よろしくお願いします。
わたくし自体はベトナム戦争の米軍・ARVN装備などを集めております。
自分以外にも何人かでこのページは更新させていただきます。よろしくお願いします。
