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Posted by ミリタリーブログ  at 

2013年08月22日

M1955ボディアーマーと海兵隊

こんばんは、jokeでございます。
私用が多く中々更新することが出来ずに申し訳ありません・・・。

今回は本道に戻りましてベトナム戦争における海兵隊とM1955ボディアーマーについて書いていきたいと思います。

【「ボディアーマー」っていつからあるの?】

銃弾・砲弾から身を守るという定義としてとらえるならば、WW1ごろからあるのではないでしょうか。
どちらかといいますと、B-17の機銃手など航空機搭乗員の着用というのがイメージにあるのではないでしょうか。
WW1も個人的な着用が個々に見られるものの部隊としてまとめてというのはなかったと考えられます。
そもそも、広義のボディアーマーは上半身を守る鎧のことと捉えられるので昔からあるっていう答えも正しいかと思います。
今回の焦点である「海兵隊」をつけるとなると、一般的に海兵隊がボディアーマーを着用し始めたのは朝鮮戦争期からだと考えられます。









上記2枚の写真は朝鮮戦争時の海兵隊の写真です。
各々がM1952ボディアーマーを着用しています。このように、朝鮮戦争の主に中期以降に着用が顕著に見られます。

【ベトナム戦争でのM1955ボディアーマーの着用】

ベトナム戦争時の海兵隊と言えばといっても過言ではないM1955ボディアーマーについて見ていきましょう。
1965年3月、ダナンに上陸して、1975年にフリークエントウィンド作戦でベトナムから完全撤退するまで多くの海兵隊員は一貫して着用していました。

M1955ボディアーマーは名前通りの1955年採用のボディアーマーで、前期型・後期型が存在しています。
ただ留意していただきたい点が、本来の目的は防破片であり、現代でいう完全な防弾の機能は付いていないということです。(ベストのタグに記載)
しかし、M1955は陸軍の各種ボディアーマーと違い、白兵戦になった場合のためにケプラー繊維以外にもガラス繊維とポリエステルを固めたものを入れており、これらが防刃機能を果たしていました。
初期型・後期型の違いについては、簡単には腹部のポケットの有無であったり、肩のスリング留めの数(後期型・最後期型の場合)などで見分けることが出来ます。
後期型には左胸に小さなポケットがあり、そこにM16のマガジンを入れて運んでいる写真も散見されます。












しかし、M1955は防片・防刃などの機能面などからわかるように重く、気温が高く湿気も多いベトナムでは非常に邪魔でうっとうしいものであったとされており、戦争初期は支給されてはいるものの着用しない隊員も多くいたようです。
そのため、戦中に基本的には着用するようにという命令が出されるほどだったようです。

上記2枚のように、Tシャツの上、あるいは上裸に直接ボディアーマーを着用することで少しでも涼しくしようとしていたようです。

アーマー下部にはM1910キャンティーン・メディカルポーチ、M1916ホルスターなどをつけることが出来るダブルフックワイヤー用のドットがあります。






左から2番目の海兵隊員は直接メディカルポーチが付いているのがわかります。
このように、直接つけている例もいくつか見られて、特に陣地防御などで見られることが多いような気がします。
個人的な考えではありますが、ケ・サンでの戦闘などからわかるように直接的な戦闘よりも急な砲撃の際に銃とボディアーマー・体だけで動けるようにするために装着しているのではないでしょうか。

また、余談ですが、M1955ボディアーマーはアメリカ海兵隊以外にもTQLC(南ベトナム海兵隊)や韓国海兵隊などでも使用されており、韓国については国内で生産していたものがあったとされています。





















何枚かわかりやすい写真をピックアップしてみ
ましたが、どの写真でもM1955ボディアーマーを着用しています。
ちなみに、上下段の右端はどちらもテト攻勢時の写真で、下はフエでの戦闘の有名な写真です。
また、下段中央は先に名前が出ましたフリークエントウィンド作戦に向かう前の写真ですが、M1955が後期型・最後期型が混在している以外にもM1967サスペンダー&アムニッションポーチやリーフパターンのヘルメットカバーなど、ベトナム戦争後の海兵隊装備と同様な装備となっています。

【コレクション】
USMC M1955ボディーアーマー (後期型) 1971年ロッド




















M1955ボディアーマーの後期型となっています。1971年ロッドで、いわゆるナムロッドです。状態は非常にいいものです。
ポケットのボタンが隠しボタンとなっており、左胸には小さなポケットが付いています。
実際、マルイの20rdマガジンを入れてみましたが、少々ポケットが小さくマガジン自体が飛び出すようになっています。
また、購入時にたまたまプレートが出てきましたが、実際の戦闘用のプレートなのか、訓練用のプレートなのかは知識不足でわかっていません…。調べてまた後日わかり次第更新しておきます。

今回は海兵隊のM1955について取り上げて行きましたがいかがだったでしょうか?
海兵隊のボディアーマーというと映画「フルメタルジャケット」の影響でM1969ボディアーマーのイメージが強いせいか、海兵隊=M1969ボディアーマーという解釈があることがあります。
実際には少数ではありますが、初期のころではM1952ボディアーマーや後期になってはM1969ボディアーマーも見られますので一概にM1955だらけとは言えませんが、普通はM1955が圧倒的に多いです。
しかし、M1955ボディアーマーがベトナム戦争前後で一貫としてつかわれているため、海兵隊の装備の中でも重要なものであるということは変わりありません。
非常に珍しいアイテムではありますが、海兵隊でリエナクトやサバイバルゲームする、コレクションをするうえでは持っていた方がいいアイテムですので機会がありましたら購入してみてもいいと思います。

ご閲覧ありがとうございました!
  


Posted by SMC  at 00:37Comments(2)ベトナム戦争

2013年08月04日

光州事件における韓国軍迷彩の考察

こんばんは、jokeです。
今回はベトナム戦争を少し離れまして、『光州事件(5.18光州民主化運動)』について見ていきたいと思います。


近年まで韓国内ではタブー視されてきた事件で、現在でも様々な議論が交わされています。
余談ですが、最近の韓国ではこの光州事件を北朝鮮の扇動によって起きた事件という人もいるようですが、正直、一部の過剰な愛国者が作り出した愚直な話であり、当時の韓国内で民主化運動を推進することは北朝鮮には不利だったのではと私は考えます。

また、2000年以後、光州事件がいかに悲惨であり、民主運動が国内に有益であったかというのが再認識され様々な映画・ドラマの作成がなされています。


【光州事件とは】
1980年5月18日に光州市で起きた民主化運動の流れを良しと思わない韓国政府の軍と民主運動を支持する市民・学生らとの衝突事件。
現在でも未解決な課題が山積みであり、韓国内ではタブーとされている。

日本国内でも光州事件というのはあまり知られていない存在でしたが、2007年に上映された「光州5.18」からその認知が高まっていると思います。


【出動した韓国軍の考察】
現段階で光州市に出動していた主要部隊は第3空挺旅団・第7空挺旅団と第11空挺旅団、第20機械化歩兵師団となっています。
(※ 現在ではこの3つの空挺旅団は特殊戦司令部隷下の第7および11特殊作戦旅団に変化している。)

当時の韓国陸軍は基本的にはユーティリティの着用が顕著に見られ、特殊作戦司令部隷下の部隊は迷彩服(俗に言うヌードル迷彩)を着用していたようです。
第3・7・11空挺旅団が主体的に鎮圧にあたっており、彼らの姿が確認できる写真が多くあります。
では、空挺旅団の衣服についてまずは見ていきましょう。
ここでは主にヌードルパターンに着目してみたいと思います。ヌードルパターンは先に紹介したとおり特戦司隷下部隊が着用する迷彩で、1964年から導入が開始され、1980年代まで使用されてきました。








市民と対峙する空挺旅団。全員がヌードルパターンを着用しているのがわかります。
一応、対暴徒用ヘルメットとしてバイザーをつけている兵士も見られます。








逮捕した市民をトラックに乗せる空挺旅団の兵士たち。彼らもヌードルパータンに着用しています。
先ほどの写真と違って、こちらの兵士たちはヘルメットカバーをつけていないようです。光州事件においてヘルメットカバーをつけている兵士とつけていない兵士、つけている兵士もダックハンター迷彩・韓国製ミッチェルパターン、ヌードル迷彩などバラバラのようです。














鎮圧を行う前にとられたと思われる写真です。
よく見ると全員ガスマスクを着用しているのがわかりますね。多分米軍のM9ガスマスクか国産のガスマスクを着用しているのだと思います。対暴徒となるとガスを使用する可能性は大いにありえるためでしょう。








1)当時センセーショナルに取り上げられた暴行の様子。右の兵士は着剣している点を見ても過剰な暴行が多かったことを物語っていますね。
2)映画「光州5.18」のワンシーン。事件当時は発砲を禁じられていましたが、写真のようにこん棒などを使って暴行を行っていたという証言や写真が現在でも残っています。
3)確保された市民を監視する空挺旅団の兵士。

基本的、多くの空挺旅団所属の兵士がヌードルパターンの迷彩服を着用しているのがわかっていただけたと思います。
では、次に一般部隊を見ていきたいと思います。

当時の一般部隊で光州事件に参加していたのは先述したように第20機械化歩兵師団でした。
この部隊は主に光州市への再鎮圧に向かう際、戦車の出動・空挺旅団のバックアップを行っていたと考えられます。








鎮圧作戦終了後に負傷者を運ぶ第20機械化歩兵師団兵士。
こちらはユーティリティを着用していますね。
そして、違った点というのがヘルメットに巻いた白い布。これは一般部隊に共通してされているのですが、なぜなのかはわからないです…。ただ、民主派もヘルメットをかぶていたのでそれと区別をするためにつけているのではないでしょうか。








逮捕者を移送する第20機械化歩兵師団兵士。
上記と同様にユーティリティを着用しています。









上記同様、逮捕者を移送する兵士なんですが、珍しい物を着ています。
右の兵士の着用しているM1955ボディアーマーは通常、海兵隊が着用していることで知られているのですが、現在確認できている光州事件の出動部隊に海兵隊部隊は入っていないので一般部隊であると考えるとすると、陸軍にも一部M1955が使用されていた可能性があったと考えています。

















【コレクション】
韓国軍特戦司 ヌードルパターン迷彩ジャケット 1978年製















当時のユーティリティと違い、腕の小さいポケットとジッパーなどが変わっているのがこのジャケットの特徴です。
また、韓国軍の衣類について共通がある点というのが、胸付近にあるガスフラップのような布でして、ほとんどのジャケットについているようです。ただ、使用用途についてはガスフラップなのかシャツを見せないためにあるのではと考えられています。

以上、マニアックなネタにはなりましたが、当時の韓国軍の迷彩について考えてみました。
装備などもベトナム以降、自国の生産のものが増えてきており、上記の画像の中にも国産と米軍の物が混在しています。
これも機会があれば考察してみようと思います。

ご閲覧、ありがとうございました。

※閲覧に際しまして、指摘事項・お聞きしたいことなどございましたら気兼ねなくコメントしてください。
  
タグ :装備韓国軍


Posted by SMC  at 03:33Comments(1)その他